手づくり粕壁宿を展示しています

更新日:2021年12月17日

ページID : 9460

手づくり粕壁宿は、日光道中第4の宿場町粕壁宿の町並みを再現したものです。粕壁宿の位置は現在の春日部大通りにあたります。

模型では、三枚橋とよばれる地区から、宿場の境界となる古利根川に架かる新町橋までの町並みを再現しています。

模型のはじまり 三枚橋の脇本陣付近

粕壁宿町の真ん中に脇本陣(高砂屋)のノボリの立っているミニチュア模型の写真

宿場の町並みは、間口が狭く奥行きの長い区画がされています。平均的な商家の間口はおよそ7間(約14メートル)でした。
模型の始まり付近は、三枚橋と呼ばれる地区で、間口が広い建物が一軒みえます。これは脇本陣(高砂屋)です。高砂屋はもともと旅籠屋でしたが、天保元年(1830)から脇本陣、嘉永2年(1849)から本陣を勤めた家です。詳しくは下記のリンクをご覧下さい。

水路にかかる三枚の板橋

紅葉の木々が並ぶ街の水路を現したミニチュア模型の写真

もう少し進むと、水路にかかる板橋がみえます。
この水路は写真奥(北方)の古利根川に注ぐ排水路でした。現在は教育センターから文化会館へ向かう道筋に流れていたものと考えられます。
水路に架かる橋は、三枚橋とよばれる板橋です。模型では木材の板ですが、時期によっては石の板橋のときもありました。三枚の板橋だったので、三枚橋と呼ばれ、橋の付近の地区は三枚橋と呼ばれました。

新宿の小澤本陣付近

町中に白い建物が立ち並ぶミニチュア模型の写真

さらに進むと、宿場の南側に本陣(小澤家)がみえます。ここは現在群馬銀行の敷地にあたります。粕壁宿では本陣は四回移転しています。小澤家はもとは旅籠屋で、文化6年(1809)~嘉永2年(1849)まで本陣を勤めています。小澤本陣は粕壁で唯一屋敷の図面が伝わる本陣です。

本陣の変遷については下記のリンクをご覧下さい。

この付近は、百貨店の建物のあるあたりで、新宿と呼ばれた地区です。

新宿の関根名主屋敷付近

塀と背の高い庭木に囲まれた屋敷のミニチュア模型の写真

江戸時代、新宿は旅籠屋が多く建ち並んだ地区でもありました。町並みの北側には、名主を勤めた関根家の屋敷があります。

仲町の多田名主屋敷付近

様々な種類の建物が並ぶミニチュア模型の写真

さらに進むと、仲町(中町とも)と呼ばれる地区になります。商家の蔵というのぼりがあるのは、現在石の道しるべがたつ蔵づくりの商家田村本店です。

仲町には、江戸時代以来の米問屋など蔵造りの商家や旅籠屋も多く立ち並びました(ミセと蔵)。

南側には多田名主の屋敷があります。江戸時代を通じて名主を勤めた家であり、春日部駅西口の夫婦松に伝わる火事除け天狗の伝説にも登場する名主さんです。現仲町郵便局・ブロンズ通りのある付近に屋敷を構えました。

上町の問屋場・見川名主屋敷付近

問屋場というのぼりの立った屋敷のある粕屋宿場ミニチュア模型の写真

さらに進むと、上町と呼ばれる地区にはいります。ここには、現在昭和59年に開通した古利根公園橋と春日部駅東口ロータリーを結ぶ大通りが通っています。
北側にある問屋場は現在の埼玉りそな銀行の敷地になります。

その向かいには見川名主屋敷があります。見川家も江戸時代を通じて、名主を代々勤めた家でした。

高札場・新町橋へ

川のふもとに店や住宅が立ち並ぶミニチュア模型の写真

日光道中は高札場で右に折れ、宿場の北方を流れる古利根川に架かる新町橋を渡り、次の杉戸宿に向かいます。

新町橋は、古利根川に架かる唯一の橋でした。橋のたもとには、上喜蔵河岸とよばれた河岸場がありました。詳しくは下記のリンクをご覧下さい。

関連情報

日光道中粕壁宿に案内板が建ちました。案内板の情報をご覧いただけます。

この記事に関するお問い合わせ先

郷土資料館
所在地:〒344-0062 春日部市粕壁東三丁目2番15号
電話:048-763-2455 内線:4839
ファックス:048-763-2219
お問い合わせフォーム